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春は出逢いと別れの季節だと言われる。 とはいえ、年度区切りの生活サイクルを離れて久しい自分には、そのことを実感する機会はほとんどない。そもそも、日頃から関わりを持つ人の母数が少ないため、それらはごく稀な出来事のように思えてしまう。そんな自分でも、出逢いと別れを強く意識させられる瞬間がある。それが写真集を作るときだ。 

自分の場合、日常的に写真を撮る上で特定のテーマをあらかじめ決めることはしない。その理由は、一つの物事に集中しきれない性分でもあり、写真とは「目の前の世界に身を委ね、ただその光景を純粋に享受する行為」だとも考えているからだ。 そのため、いざ写真集を作ろうという段階になって初めて、ひとつのテーマを設け、これまでに撮影した何万枚もの写真をすべて見返しながら、一冊の写真集を編んでいく。その過程で必ず向き合わざるを得ないのが、出逢いと別れなのである。 

大学時代から撮り溜めてきた写真には、その時々の生活の断片が記録されており、そこには当時親しくしていた人々の姿がある。 カメラ越しにこちらを見つめる瞳、何かに夢中になっている横顔。 時には、風景だけを撮った写真を見返しても、フレームの外にいる彼らの存在が、かつての思い出とともに鮮明に甦ってくる。 しかし、そうした懐かしさを覚えるたびに、それらの光景すべてが「過ぎ去ったもの」であるという事実を、痛切に思い知らされる。 

学校、職場、イベントで出逢い、卒業、転職、引越しを機に別れが訪れる。それらは誰の人生にも起こり得る出来事であり、必ずしも悲しいことではないかもしれない。それでも、年を追うごとに、自分の写真の中から彼らの存在が少しずつ薄れていくのを感じずにはいられない。 

し、過去の写真に収められたあの場所を再び訪れたなら、きっとあの日と変わらぬ風景が目の前に広がるだろう。 そのときは、いつかの春をともに過ごした彼ら、彼女らにもう一度カメラを向ける自分の姿を想像してみようと思う。

 春は、また巡ってくる。 

2025年3月 山口卓也
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